2011年1月31日月曜日

1974年発行 パナマの20バルボア プルーフ銀貨 

1974年発行 パナマの20バルボア シモン・ボリバルが彫られた美しいプルーフ銀貨で、約130グラムあり、直径は6センチの大きなコインです。


シモン・ボリバル(シモン・ホセ・アントニオ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダー・ボリーバル・イ・パラシオス、Simón José Antonio de la Santísima Trinidad Bolívar y Palacios、1783年7月24日 - 1830年12月17日)は、南米大陸のアンデス5ヵ国をスペインから独立に導き、統一したコロンビア共和国を打ちたてようとした革命家、軍人、政治家、思想家であります。日本語ではシモン・ボリーバルと表記されることも多いようです。
ベネズエラカラカスにアメリカ大陸屈指の名家の男子として生まれましたが、早いうちに妻を亡くしたことが直接、間接のきっかけとなってボリバルはその後の生涯をラテンアメリカの解放と統一に捧げました。このため、ラテンアメリカでは「解放者」 (El Libertador) とも呼ばれています。多くの武将を配下にして使いこなし、特にアントニオ・ホセ・デ・スクレ将軍との親交は有名です。


ボリバルは踊りが上手く、非常に情熱的で、理想主義者であったといわれています。また文筆の才能にも優れていました。特に若い頃にモンテスキューやルソーの思想に触れ、ナポレオンの戴冠式に出席したことが、後年に大きな影響を与えたといわれています。生涯を共和主義者として過ごし、君主制の導入を断固として拒否したのはナポレオンに失望したからであったようです。
彼の名は、現在でも南アメリカ各地に大きな影響を与えています。ボリビアの国名の由来にもなり、ベネズエラにはボリバルの名の付いた都市(シウダ・ボリバル)があります。またカラカス最寄りのマイケティア国際空港はシモン・ボリバルの名を合わせ持っています。多くの街角には解放者ボリバルの銅像が立ち並び、ベネズエラの地図作成の役所は「ベネズエラ地理院シモン・ボリバル」を正式名称としています。カラカスのボリバル広場と、ボゴタのボリバル広場は、それぞれベネズエラとコロンビアの首都の中心広場(プラサ・マジョール)です。その他各国の州、都市、街区、街路、大学など、ボリバルの名を冠するものは夥しく、ベネズエラの通貨単位はボリバルで、紙幣の肖像画も多くはボリバルのものとなっています。1999年にベネズエラの大統領に就任したウーゴ・チャベスは、ボリバル革命を唱えて国名に「ボリバル」を挿入し、ベネズエラの正式国名は「ベネズエラ・ボリバル共和国」となりました。
なおラテンアメリカ文学を代表する作家、ガルシア・マルケスによる歴史小説で、ボリバル最期の日々を描いた『迷宮の将軍があります。(Wikipedia)
   

2011年1月29日土曜日

天皇陛下御在位六十年記念硬貨10万円 天皇陛下御即位記念硬貨10万円

天皇陛下御在位六十年記念硬貨(てんのうへいかございいろくじゅうねんきねんこうか)は、昭和天皇の在位60年を記念して1986年(一部は1987年)に日本で発行された記念硬貨です。10万円金貨、1万円銀貨、500円白銅貨が発行されました。

10万円金貨は、日本で初めて発行された記念金貨、および初の1万円を超える額面の貨幣であり、かつ第二次世界大戦後初の金貨です。また金貨・銀貨ともに、初めて千円を超える額面の硬貨です。昭和天皇の在位50年の際には100円白銅貨が発行されたのみですが、これ以降は天皇の即位や在位の節目などを記念する金銀貨がたびたび発行されました。
10万円金貨のデザインとして、昭和天皇の肖像を用いる図案も最後まで検討されましたが、結局は日本画家平山郁夫による瑞祥画が採用されました。金貨は品位.9999 の純金であり、金貨・銀貨はプラスチックのパッケージに入れたまま両替されることとされました。発行日は1986年11月10日です。(Wikipedia)
天皇陛下御即位記念 10万円金貨
1990年11月12日、天皇陛下の「即位の礼」が厳かに行われました。この記念すべき日を祝して発行された貨幣がこの10万円金貨です。この金貨も雅な瑞祥画が意匠に採用された、美しい貨幣です。

2011年1月26日水曜日

喜多川歌麿 婦人相学十躰「ビードロを吹く女(ポペンを吹く娘)

赤い市松模様の着物が印象的な町娘を描いた「ビードロを吹く娘」。当時人気の町娘を描いた爽やかな作品です。
ビードロは、珍しくガラスの弾力性を使ったおもちゃです。
口に息をためて縦の筒より中に軽く吹き込み、音がしたら口を離します。底の部分がとても薄くなっていて、「ポッペン!」と音が出ます。


喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ、 生年不明 。宝暦5~8年(1755~58年)ごろ生まれる。 文化3年9月20日(1806年10月31日))没。江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人です。通常は「うたまろ」と読みますが、秘画本には「うたまる」としているものもあります。国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称されています。繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家です。(Wikipedia)

2011年1月25日火曜日

明治金貨 壱圓 弐圓 五圓 拾圓


明治政府は、それまでの小判、分金、穴銭などの貨幣に変えて近代的な洋式貨幣を発行すべく香港および英国から鋳造機を導入し明治3年11月27日(グレゴリオ暦1871年1月17日)から最初に銀貨の鋳造を初め、明治4年(1871年)8月から金貨が発行されました。
最初硬貨のデザインは英国に委ねる予定でしたが、彫金師加納夏雄の優れた龍のデザインと彫刻が認められ、これが採用されました。デザインに関しては欧州諸君主国の例に倣い表面に天皇の肖像を刻むことも考えられましたが、皇室と庶民の隔たりの大きな当時の日本では、そのような機運は薄く、結果君主を表す龍図に替えられたようです。
また、裏面には、天皇と皇室の紋章である菊紋「十六弁八重表菊紋」と、それに準じて格式あるとされる桐紋「五七桐花紋」があしらわれており、左右には月日を描いた錦の御旗、中央には日章と八稜鏡、およびそれを取り囲む菊と桐の枝飾りが配されています。(Wikipedia)

今回は、壱圓 弐圓 五圓 拾圓の4枚を買い取らせていただきました。ありがとうございます。

レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザ展記念メダル

1974年4月20日からレオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザ展が東京国立博物館で開かれました。誰もが知る名作、日本初公開とあって入場者150万人、1日平均3万1120人の記録をつくったそうです。


26g とてもきれいな純金のメダル、当時会場でご購入されたそうです。









2011年1月18日火曜日

切手シート・バラ

 本日は、切手をたくさん買わせていただきました。
シートでもバラでも丁寧に査定してお買取りさせていただきますので、是非おたからや幕張本郷店にお持ちください。

現在お電話にご予約していただき、1万円以上お買取りさせていただいたお客様に、お米2kg進呈中!!

左和気 和気 清麻呂(わけ の きよまろ)

左和気と俗称されている10円札です。
和気 清麻呂(わけ の きよまろ、733年天平5年) - 799年4月4日(延暦18年2月21日))は奈良時代末期から平安時代初期の高級官僚です。備前国藤野郡(現在の岡山県和気町)出身。氏姓は当初、磐梨別公(いわなしわけのきみ)、のち藤野真人、和気宿禰、和気朝臣に改めました。磐梨別乎麻呂(または平麻呂)の子。(wikipedia)


和気 清麻呂が左に印刷されているので、左和気と呼ばれています。
残念ながら状態があまり芳しくなかったのですが、珍しいお札です。



2011年1月5日水曜日

ミントセット

ミントセットとは、各国の造幣局が発行する硬貨をケースに収納して販売するためのものです。貨幣セットということもあります。確実に、完全未使用品が入手できるため、コイン収集家に重用されています。

日本で、造幣局が毎年、ミントセットという名前で発売しているものは、一般に流通している通常貨幣(完全未使用品)6種類各1枚をプラスチックケースに入れたものです。これの販売価格は1700円(2008年の場合)で、記念貨幣(500円)を追加したものも発売されることがあります。
なお、ミントセットに限らず、日本においては造幣局自身が販売する貨幣セットの送料はセット代に含まれています。
かつては「通常貨幣セット」という名称でしたが、1990年度(平成2年度)より通称として「ミントセット」の名称が用いられるようになり、1998年度(平成10年度)から正式に「ミントセット」に改称されました。(Wikipedia)