2011年7月13日水曜日

マン島 キャットコイン

マン島はイギリス本島とアイルランドの間にある淡路島ほどの大きさの、自治権をもったイギリス王室属領です。通貨はマンクスポンド(マンクスとは「マン島の」という意味)という独自のものですが、レートはイギリスポンドと同一です。
キャットコイン(金純度99.99%)は1988年よりマン島政府が発行しているもので、片面には現女王エリザベスⅡ世、そしてもう一方には毎年違った世界の猫の図柄がデザインされ、人気があります。

この1993年発行の金貨にはメインクーンというアメリカメイン州が原産とされる大型の猫が描かれています。メインクーンの本当の起源は諸説ありはっきりしていませんが、17~18世紀にヨーロッパから持ち込まれた家猫が厳しい自然によって淘汰され逞しい猫に変貌を遂げ、現在のメインクーンの姿へと進化していったといわれています。
金貨にも描かれている通り、胸元にはマフラーのように長い毛、ふさふさとした立派な尻尾が特徴です。体は非常に大きく四肢は自然の厳しさによって鍛えられ、しっかりした骨格に強固な筋肉がついています。 体調は1メートルを超えることもあり、ギネスブックには123cmという記録が残っています。


その大柄な風貌には似合わず、メインクーンは温和で賢く器用な猫で、戸を開けたり、水道の蛇口を開いたりしてしまうそうです。
ちなみに第1回発行のキャットコインには、マン島固有種であるマンクスがデザインされています。
この猫は尻尾のない猫として有名ですが、厳密にはまったく尾がないもの、尾椎が残っているもの、短い尾がついてるものの三段階に区別されます。この尻尾がないことに関しては諸説ありますが
「ノアの方舟に最後に飛び込んで、扉に尾を挟まれて取れてしまった」というものが有名です。





2011年7月8日金曜日

ウィーン金貨

ウィーン金貨ハーモニーは1989年にオーストリア造幣局より発行され、現在のヨーロッパでは唯一の地金型金貨(投資用に発行されている金貨)です。

この金貨は9999+(フォアナインプラス)と呼ばれる純度99.99%の金貨で一般的な記念金貨とは違い金地金(インゴット)と同等に扱われます。
金貨の表面にはニューイヤーコンサートで有名な楽友協会大ホールのパイプオルガン、
裏面には「ウィンナホルン」をはじめハープ・ビオラ・バイオリン・ファゴット・チェロの6種類の管弦楽器がデザインされています。



サイズは、1トロイオンス・1/2トロイオンス・1/4トロイオンス・1/10トロイオンスの4種類でそれぞれの額面金額が100ユーロ・50ユーロ・25ユーロ・10ユーロと記されています。
トロイオンスとは、貴金属や宝石の原石の計量に用いられる単位で、1トロイオンスは31.1034768gです。これは通常質量、体積を計量する常用オンスより少し重くなります。
トロイという名前は中世時代重要な商都だったフランスのトロイに由来しており、この町の市場で使われていた単位だったといわれています。

2011年7月7日木曜日

戦捷記章



戦捷(戦勝と同じ意味)記章は、第一次世界大戦に際し
同盟及び連合国の戦勝記念の国際表章として制定されたもので、戦役に従事した者および軍務の功績が顕著な者に賜与されました。
(記章とは主にバッジ、メダルのことであり付ける部位によって
襟章、腕章、肩章などとよばれます)

この記章は銅製で表面には武甍槌(たけみかづち)神像、裏面には桜と地球の図、そして日本、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアの各国旗の図が彫られています。第一次世界大戦に参加した全ての連合国が、同じ模様の綬(=じゅ:メダルに付いている短い紐のこと)を使用しているので、メダル部分の意匠は各国によって異なりますが、綬を見れば「戦捷記章」であることがわかるようになっています。
甍槌は、元々鹿島の土着神であり刀剣の神、軍神として 信仰されていて、鹿島神宮・春日大社及び全国の鹿島神社・春日神社に祀られています。




2011年5月6日金曜日

勲4等瑞宝章

瑞宝章は「勲章増設の詔」(明治21年1月4日詔)により大勲位菊花章頸飾並びに勲一等旭日桐花大綬章、及び女性を授与対象とした宝冠章(5等級後に8等級)と共に増設された勲章であり、同日の「各種勲章等級ノ製式及ヒ大勲位菊花章頸飾ノ製式」(明治21年1月4日勅令第1号)により勲一等から勲八等までの8等級が制定され、「各種勲章及大勲位菊花章頸飾図様」(明治21年11月25日閣令第21号)によってその意匠等が定められました。それ以前は男性を授与対象とした大勲位菊花大綬章及び旭日章(8等級)しかなく、制定当時は瑞宝章も男性のみが授与対象とされていましたが、「婦人ノ勲労アル者ニ瑞宝章ヲ賜フノ件」(大正8年勅令第232号)によって女性にも等しく授与されるようになりました。平成15年5月20日閣議決定(勲章の授与基準)により、勲等が数字での表示されていたものが瑞宝大綬章、瑞宝重光章、瑞宝中綬章、瑞宝小綬章、瑞宝双光章、瑞宝単光章と名称表記に改められると共に、勲7等及び8等が廃止され、6等級とされました。

章のデザインは、宇摩志麻遅命が神武天皇に奉った瑞宝に基づいているとされていますが、実際は伊勢神宮の御神体であるをモチーフにしていると言うのが一般的な見解です。章の中央部に、青色七宝に浮くように鏡のモチーフが浮き出して取り付けられ、連珠が丸く囲み、その外側は四方に伸びる光線が白七宝によって施され、中央の鏡のモチーフを囲む部分には赤の連珠が配されています。基本的にご神体である鏡に強く光が当たった状態をデザインに起こしています。デザインは一等正章から六等までは基本的に同一ですが、等級により金鍍金の施される範囲や章の大きさが異なります。 また大綬章(勲一等)の副章と重光章(勲二等)の正章のみ、外側に伸びる光線は八方です。
綬は(淡藍)藍の織り地に黄の双線と定められているが、時代によって色味には非常にバラツキがあります。 制定当初の明治初期には「淡藍地に桃色双線」であったが、すぐに「淡藍地(ごくごく薄い灰緑色)に黄の双線」に改められました。大正末期から太平洋戦争末期頃に掛けては、靖国神社に展示されている物のように織り地の「淡藍」が非常に濃く、金鵄勲章と見まごうばかりの灰緑の物も存在していました。戦後は元の通り、極淡い淡藍の地に黄色の双線に戻り、栄典制度改訂まではそのままの色味でした。(Wikipedia)

金鵄勲章功5級


金鵄勲章(きんしくんしょう)はかつて制定されていた日本の勲章の一つです。授与対象は大日本帝国陸軍大日本帝国海軍軍人軍属。金鵄章とも。
「金鵄」という名前の由来は、神武天皇東征の際に、神武のの弭にとまった黄金色トビ(鵄)が光り輝き、長髄彦の軍を眩ませたという日本神話伝説に基づいています。
赤色七宝の旭光の上に金色の霊鵄を配し、下に大神宮の盾、矛、剣を配した物です。功級により金鍍金の範囲が異なりますが、ほとんどの等級で意匠は同一です。裏面の装飾は無く功一級の副章及び功二級の正章のみ、斜めの旭光部分に黄色の七宝が用いられています。
綬は浅葱色と呼ばれる鮮やかな緑色を織地に白の双線が配されておおり、佩用式は旭日章などと変わりませんが、功一級の大綬は日本の勲章では唯一、左肩から右脇に掛けました。(Wikipedia)

2011年4月19日火曜日

BOTTEGA VENETA(ボッテガ・ヴェネタ) 長財布

ボッテガ・ヴェネタは1966年イタリアヴェネト州(ヴェネチアが州都です)ヴィチェンツァに設立されました。
「BOTTEGA(ボッテガ)」とはイタリア語で「工房」という意味で、このブランドの徹底的な物づくりへのプライドが感じられます。派手なロゴマーク、ブランド名などは一切つけずに、職人技の際立つ高品質な皮革製品を作り続けています。2006年には伝統的な生活様式が壊れていくことを危ぶみ、次世代の革職人を養成し、支援するための学校を開校しました。


この長財布のように、なめした革ひもを編み込んで作り上げるイントレチャートシリーズは、このブランドの顔ともいえるものです。上質で加工の難しい柔らかい革が使用されていて、他ブランドの模倣を許さない凝った作りとなっています。長く使うほどに深みの出る良質な皮、流行に左右されないシンプルなデザイン、男女を問わず成熟した大人が使うに相応しい製品です。
ただ2001年に同じイタリアのブランドであるグッチの傘下に入ってからは新デザイナーが起用され、伝統的な様式を残しつつデザインや色使いを刷新しその人気は若い世代にも広がっています。
ちなみにこの長財布の正式名は「ネロ(=黒)イントレチャート(=編み込み)ナッパ(=羊革)ジップアラウンド(=ファスナー開き) ウォレット(=財布)」という名前です。

2011年4月1日金曜日

山高帽 (Bowler Hat :ボーラーハット)


山高帽とは堅く加工したフェルト製の帽子で、半球型のクラウン(帽子の山の部分)と巻き上がったブリム(帽子のつばの部分、ブリムが平らなものもある)が特徴です。 後にレスター卿となるトーマス・コークのために1850年にイギリスで初めて作られました。ロンドン・セントジェームス街の帽子商James and George Lockは、顧客であるトーマス・コークが馬上で低木枝から頭部を保護できるような堅い帽子をデザインして帽子製造業者ウィリアム・ボーラー(William Bowler)に依頼しました。



帽子の内側は丁寧な仕上げです。
ロックは、その帽子を顧客の名に因んでコークハット(Coke Hat)と呼ぶように主張したためコークハットとボーラーハットの名称が混在する時期がありましたが、帽子の形状がボウルBowl)を連想させたためウィリアム・ボーラーに因んだボーラーの名称が定着しました。上流階級が被るシルクハットと労働者階級が被るフェルト製ソフトハットの中間的な帽子として、19世紀末にイギリスで人気がピークに達しました。その後、チャーリー・チャップリン等の映画の登場人物や多数の著名人に愛用されたこともあり世界中に普及しましたが、イギリスでは1960年頃には廃れてしまいました。現在は、世界中で伝統を重んじる保守層や新たな若者層などに支持されています。(Wikipedia)

2011年3月16日水曜日

肩章(けんしょう、かたしょう)

肩章(けんしょう、かたしょう)は肩の線に沿って装着される細長い布或はモール紐等で出来た付属品です。形状によって数種類に分類されますが、日本語では全て肩章と称されます。また、肩に付ける階級章のことも肩章と呼ぶことがあります。

背嚢の負い革その他の装備品を固定する等の実用的な目的のために古くから軍服に用いられていました。その後、装飾を目的としたものも現われ、軍隊に於いて階級兵科が整備されてくると、それらを表示する機能を持たせられるようになりました。現在でも軍隊自衛隊含む)等では階級章の取付場所として用いられています。また、単に装飾目的で付されることも多く、一般の服にも使われています。
大日本帝国陸軍及び海軍では肩章は襟章と共に階級章としての役割を果すことが多く、例えば「少尉肩章」、「少尉相当官肩章」のように呼ばれることもありました。陸・海軍共軍装には付かないものも多かったようですが、正装・礼装時には正衣に正肩章を付けました。(wikipedia)


二角帽子・・・山形帽

角帽子(にかくぼうし、Bicorne)とは、角が2箇所ある帽子18世紀後半から19世紀前半にかけて用いられました。ヨーロッパやアメリカの陸軍・海軍で主にかぶられていましたが、ナポレオン・ボナパルトが使用していたことで最も知られています。ナポレオン時代の将軍や参謀将校が日常的に着用したほか、少なくとも第一次世界大戦頃までは正装用の帽子として広く生き残っていました。ビコルヌ、バイコーン、ナポレオン帽、山形帽。


日本では海軍士官の正装の帽子として使用されたほか、文官の大礼服の場合にも用いました。日本では「山形帽」と呼ばれることが多く、二角帽子という用語は一般的でありません。また、「コックドハット」の訳語としてその側面形から「三角帽」という言葉が使われることがありますが、海軍士官の帽子など、三角帽子でなく二角帽子を指している場合が多いようです。(wikipedia)

2011年3月6日日曜日

支那事変行賞 賜金国庫債券

支那事変行賞(こうしょう) 賜金(しきん)国庫債券とは、昭和12年の支那事変に出征した皆さんが兵役を終えて内地に帰還した際政府が昭和15年に発行した債券です。

金額別に15種類あり
暗紫色:20円、25円 
緑 色:30円、40円、50円
青 色:60円、70円、80円、90円、100円
紅 色:200円、300円、400円、500円
桔梗色:1000円
となっているようです。
写真のものは、緑の50円のものです。



2011年3月5日土曜日

明治海軍の士官軍服


軍服(ぐんぷく)とは軍隊の構成員(軍人)が着用する衣類をいいます。広義においては近代以前の戦闘員の服装も含みますが、通常はヨーロッパで近代的軍隊が整備された17世紀以降の軍隊で定められた制服を指します。
海軍ではネイビーブルー色が主に用いられます。海軍では各国共通で階級により服装の形状が異なっていることが多く士官の場合、冬服は黒系統のダブルの背広で袖に階級章たる線が入り、夏服は白の立襟(詰襟)で階級章は肩章となっています。下士官の場合、冬服・夏服共に士官と同じですが階級章が上腕に付されます。水兵の場合、水兵帽にセーラー服が用いられます。また、士官・下士官の帽章も、イギリス海軍に倣って中央にを置きその周囲を植物の葉で囲み上部に王冠(日本の場合は花)などを付すものが多いようです。(wikipedia)
写真の袖には太い袖章が3本ありますので佐官の軍服です。2本の場合は尉官です。
襟章の桜が2つですから中佐のものといえます。一つなら、少のつく階級、つまり少尉・少佐・少将です。三つなら、大のつく階級、つまり大尉・大佐・大将です。


勲章 勲四等旭日小綬章

旭日章は、1875年(明治8年)4月10日に、日本で最初の勲章として勲一等から勲八等までの8等級が制定されました。翌1876年(明治9年)には旭日章の上位に大勲位菊花大綬章が新設され、1888年(明治21年)にはさらにその上位に大勲位菊花章頸飾が置かれました。また、同じ1888年(明治21年)には、勲一等旭日大綬章の上位に勲一等旭日桐花大綬章が追加制定され、旭日章は9等級で運用されました。2003年(平成15年)の栄典制度改正では、勲等の表示をやめ、桐花大綬章を旭日章の上の桐花章とするなど、大幅に整理され、旭日章は6等級で運用されることとなりました。また、制定以来、旭日章の授与対象は男性に限る運用が行われていましたが、この栄典制度改正の際に男女等しく授与される勲章となりました。(wiikipedia)

写真の勲章は勲四等旭日小綬章です。残念ながら箱と略授がありませんでしたが、珍しい勲章です。

C.P.Goerz Berlin 旧海軍将校使用、ゴルツの双眼鏡

C.P.Goerz Berlinはドイツのメーカーです。1926年の大合併でツァイスイコンとなりました。日本では「ゴルツ」と呼ばれていたようです。

写真の双眼鏡は、明治~大正時代に旧海軍将校が使用していた物で、日本に優秀な光学メーカーが無かった時代に輸入されていたものです。









2011年3月1日火曜日

海外の金貨 カンガルー金貨他


海外の金貨をお買取りいたしました。
右の大きな金貨はオーストラリアのカンガルー金貨2オンスです。大変大きな金貨で2ozのものは初めてのお買取りでした。10ozや1キロのものもあるそうです。
カンガルー金貨(カンガルーきんか)とは、オーストラリア連邦の西オーストラリア州政府公営のパース造幣局が1986年から発行している地金型金貨です。
表面には英国の女王エリザベス2世の肖像、裏面にはカンガルーレリーフされています。裏面のカンガルーのデザインは毎年変わります。毎年、裏面のカンガルーのデザインが違うことが、カンガルー金貨が地金型金貨でありながら、収集型金貨のようにコレクション的な人気が高い理由とされています。(wikidedia)

天皇陛下御在位20年記念プルーフ貨幣セット 1万円金貨 500円白銅貨

天皇陛下御在位六十年記念硬貨(てんのうへいかございいろくじゅうねんきねんこうか)は、昭和天皇の在位60年を記念して1986年(一部は1987年)に日本で発行された記念硬貨です。臨時補助貨幣でもある。10万円金貨、1万円銀貨500円白銅貨が発行された。


写真は、1万円と500円のセットです。
1万円は、純金で20gあるため数倍のプレミアが付きます。

2011年2月27日日曜日

LOUIS VUITTON(ルイヴィトン) ポーチ トゥルースロンド

ルイ・ヴィトン (Louis Vuitton Malletier) はフランススーツケース職人(マレティエ)ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton, 1821年8月4日 - 1892年2月28日)が創始したファッションブランドLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループの中核ブランドです。LVMHの2008年の売上高は239億ドル。(wikipedia)



写真のポーチの名称はトゥルースロンド。
型番はM47630です。 1896年に初めて誕生して以来、ルイ・ヴィトンのシンボルとなっているモノグラムライン。 バッグの中の小物整理用に便利です。 

香水(オードトワレ)のお買取り

紀元前1850年頃に香水を製造していたとされる最古の工場跡地はギリシアで発掘されています。
アルコールに溶かす香水が作られるようになったのは、イスラム社会でアルコールの製造法がヨーロッパに伝えられてからです。それまでは油脂に香りを吸着させた香油やポマードが使用されていました。14世紀ハンガリー王室で使用された、ローズマリーを原料としたもの(ハンガリアンウォーター)がそれです。その後、ルネサンス期のイタリアで発展し、ヨーロッパ各地に広まっていきました。(wikipedia)

当店では、未使用の香水をお買取りしております。

写真の商品は右からグッチの バイ グッチ オードトワレ 30mlで、 GUCCIのクリエイティブデレクターが描く女性像(グッチガール)を表現した香りです。モダンにアレンジされたシプレーの香りはセンシュアルな力強さに秘められた優しい女性らしさを醸し出しています。フェミニンなピンクのボトルも魅力的ですね。

中央は、CHANEL CRISTALLE シャネルクリスタル100ml。1974年の誕生以来、フレッシュフローラルの代表として定番的な人気のフレグランスです。清々しいグリーンとほんのりしたフローラルが溶け合う香りは活動的で開放感にあふれた香りです。リフレシュのための香水としてオフィスでも使用できます。


左は、CHRISTIAN DIOR purepoison クリスチャンデイオール  ピュアプアゾン30mlです。フローラルの女王ともいわれるジャスミンの中でも、インド産のサンバックジャスミンを使ったピュアで魅惑的な香りです。

シャネルのポシェット

シャネル (Chanel) は、ココ・シャネルが興したファッションブランドです。ウーマンリブ的な「古い価値観にとらわれない女性像」がブランドポリシー。喪服用途であった黒い服を「リトル・ブラック・ドレス」として広汎的に広め、また自立した働く女性のためのジャージ素材、ツイード素材のスーツを打ち出すなどファッションの歴史を次々と刷新していきました。


日本においては、1994年、シャネルブティック本店(銀座並木通り)を開店。次いで1996年に大阪・心斎橋店を開店。心斎橋店が日本において当時最大の店舗でしたが、2001年に東京・表参道店が開店し、こちらが日本最大となりました。2004年12月には、銀座3丁目に旗艦店となる銀座シャネルビルがオープンしています。(wikipedia)


写真の商品はシャネルのポシェットです。ギャランティカードが無く使用感がありましたが、お持ちいただいた他の商品とのおまとめで、お買取りさせていただきました。



2011年2月24日木曜日

K10の壊れたカフス等・・・

壊れたカフスや、古いネクタイピンもお持ちいただければ丁寧に査定させていただきます。
写真はK10のものでした。

2011年2月20日日曜日

54gのK18ネックレス

 金の純度は、24分率で表されます。その場合、純金は24金、24カラット (Karat)、あるいは、K24と表します。そして、金の含有率に従い数値を変えているのです。例えば、18金は金の含有率が18/24、すなわち75%であることを表します。なお、金の品位をカラットという場合は宝石重量を表すカラット (carat) とは異なるものです。

日本では99.99%以上の純度の金を24カラットと表示して良いことになっています。
このほか、純金の度合いを0.995などのように0から1の間の数値で表すこともあります。

カラットという品位は現在でも金の装飾品や万年筆のペン先の純度表示に使われています。

金の純度を24分率で表す単位のことで、24k(24金)とは純度の24分の24を表す(純金)。22k(22金)なら24分の22 (91.67%)、18k(18金)なら24分の18 (75%)。(wikipedia)

本日お買取りさせていただきました18金のネックレスは54gの大変重いものです。
お買取り価格もご満足いただきました。

2011年2月18日金曜日

太政官札(だじょうかんさつ)

 太政官札(だじょうかんさつ)は、明治政府によって明治元年閏4月から明治2年5月まで発行された政府紙幣。金札とも呼ばれました。日本初の全国通用紙幣です。通貨単位は江戸時代に引き続いてのままでした。1879年明治12年)11月までに新紙幣や公債証券と交換、回収されるまで流通しました。明治政府は戊辰戦争に多額の費用を要し、殖産興業の資金が不足したので、参与兼会計事務掛三岡八郎(のちの由利公正)の建議によって明治元年4月19日の布告により、「通用期限は13年間」との期限を決めて太政官札を発行しました。総額4,897万3,973両1分3朱製造されましたが、実際に発行されたのは4,800万両であり、97万3,973両1分3朱は発行させずに焼却しました。

当初、国民は紙幣に不慣れであったこと、また政府の信用が強固では無かった為、流通は困難をきわめ、太政官札100両を持って金貨40両に交換するほどでした。このため政府は、太政官札を額面以下で正貨と交換することを禁止したり、租税および諸上納に太政官札を使うように命じたり、諸藩に石高貸付を命じるなどの方法を講じました。これらの政策や二分金の贋物が多かった事などから、信用が増加したために流通するようになりましたが、今度は太政官札の偽札が流通し始め、真贋の区別が難しくなったため、流通は再び滞るようになりました。
政府は明治2年5月28日の布告で、太政官札の発行を3,250万両に限定し、さらに通用期限を5年間に短縮し、もし期限にいたって交換未済のものがあるときはこれに対し1年で6%の利子を交付することを約束しました。
政府は1871年明治4年)、新貨条例を制定しました。通貨単位を「両」から「圓(円)」に切り替えて本位貨幣金貨とし、金本位制度を採用することにしました。その際に旧1両を新1円とする事を定めています。
政府は1872年明治5年)8月、6年3月、7月、の布告により、金札交換公債證券(記名證書、1,000円、500円、100円、50円の4種。利札證書、500円、100円、50円の3種)に換えて回収する方針をとりましたが、これによって公債証券に換えられたのはごくわずかで、大部分は新紙幣である明治通宝との交換でした。
この商品のオークションは・・・・・・
http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d114287920

2011年2月15日火曜日

喜平のネックチェーン

喜平(きへい)の名前の由来には1.騎兵隊が、懐中時計の鎖に使用したところから、2.はじめてこの鎖を作った人の名前から(鈴木喜平という名前から)などさまざまな説があります。


今回のお買取りは、六面ダブル喜平50g・18Kです。ずっしりと重いネックチェーンです。お値段も頑張らせていただきました。

2011年2月14日月曜日

ウェッジウッド オズボーン 27cmのディナープレート5枚


ウェッジウッド(Wedgwood & Corporation Limited)はイギリス陶磁器メーカー。ジョサイア・ウェッジウッドによって1759年に設立されました。
ロイヤルドルトン社と並ぶ世界最大級の陶磁器メーカーの一つです。主に高級食器を製造・販売していますが、アクセサリタオルテーブルクロスなども扱っています。
日本には子会社としてウォーターフォード・ウェッジウッド・ジャパンがあります。イングランドの陶業は17世紀までロンドンブリストルで生産されるデルフト陶器が主でありましたが、18世紀に入ると上質陶器やストーンウェアがこれを代替していきました。これらの製造には良質の粘土が必要であり、イングランド中部のスタフォードシャー州は良質の粘土や石炭を産出する事などから陶業が急激に発展しました。

ジョサイア・ウェッジウッドはこの地方の陶工の息子として1730年に生まれ、若いうちから製陶技術や化学図版などの知識を評価されていました。そして数回の共同経営を経た後、1759年にバーズレム(Burslem)にある工場を叔父から引継ぎ、独立・開業した。この際に従兄弟のトーマスを管理者として雇用しています。
このアビー・ハウス工場(Ivy House Works)で開発した緑色の釉薬を用いた陶器は好評を博し、3年後の1762年には同じくバーズレムにあるブリック・ハウス工場(Brick House Works)に移転しました。ここでジョサイアは、会社の代表作となる、エナメルを用いたクリーム色の陶器を完成させました。これはシャーロット王妃ジョージ3世の妻)にも納められ、「クイーンズウェア(女王の陶器、Queen's Ware)」という名称の使用が1765年に許可されました。
1769年にはリバプールの商人であったトーマス・ベントレー(Thomas Bentley)を共同経営者として迎え入れると、トーマスの人脈などもあって会社は発展を続けました。クイーンズウェアはヨーロッパのみならずアメリカ大陸にも出荷され、1774年にはロシアエカチェリーナ2世から944点の「フロッグ・サービス」と呼ばれる陶磁器セットの注文を受けています。

このような中でジョサイアは再び工場を移転することにし、ニューカッスル・アポン・ライム(Newcastle-upon-Lyme)とハンレー(Hanley)の中間の地を選びます。この土地はイタリア南部の地にちなんでエトルリアと命名され、工場名もエトルリア工場となりました。1769年の操業開始後もしばらくはブリック・ハウス工場で低価格の実用品の生産が続けていましたが、しばらくすると全製品が移管されてブリック・ハウスは閉鎖されました。
この頃、在庫の増加が資金繰りを圧迫して経営を危険にさらすことをジョサイアは初めて理解し、当時としては先進的な原価計算を取り入れるようになりました。これによって高級品の生産に対していたずらにコストが増加してしまうことを防いだ、と考えられています。
エトルリア工場では、まずブラック・バサルト(Black Basalt)が開発されました。これは、当時スタフォードシャー州で作られていた黒色陶器を改良したもので、今日まで会社の主力製品の一つとなっています。さらに1774年にはジャスパーウェアが開発され、1790年にジャスパーによるポートランドの壺が作製されました。この壺は1878年にウェッジウッド社の商標に組み込まれ、コーポレートアイデンティティの重要な要素となっています。
ジョサイア(一世)の死後、その息子であるジョサイア二世が経営を引き継ぎました。二世はボーンチャイナの製造を試みましたが生産はすぐに中止され、1878年にボーンチャイナ生産は再開されました。以降、三世から五世まで経営は世襲され、1895年にジョサイア・ウェッジウッド・アンド・サンズ(Josiah Wedgwood & Sons)として会社が法人化されました。(wikipedia)

写真のお買取り商品はオズボーンの27cmのディナープレート5枚です。

この商品のオークションは情報は・・・・・・・・・・
http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h150865527

2011年2月13日日曜日

バカラ (Baccarat)のオニキスクロス

 バカラ (Baccarat)は、フランスのガラスメーカー・ブランド名です。30%の酸化鉛を含むフルレッドクリスタルクリスタルガラスの一種)製品を製造するメーカーとして、世界的に有名で、製品は日本・アメリカをはじめ世界中で販売されています。

製造された商品のうち消費者の手に渡るのは6~7割。残りは品質基準の高さゆえに破棄されてしまいます。フランスの「M.O.F」(「最優秀職人」の意)を50人以上輩出している。
ルイ18世を皮切りにフランス王室はもちろん、イギリス王室・ロシア皇室などのヨーロッパの王室はもちろん、モロッコ王室・タイ王室、さらに日本の皇室までも、バカラを注文しています。特に1921年、当時皇太子であった昭和天皇は、旅行でパリのバカラショップを訪れたのことです。
商品は、テーブルウェア(各種グラス・デキャンタ等)はもちろん、アクセサリー・花瓶・香水瓶・置物・シャンデリアなどに及んでいます。(wikipedia)



商品はオニキスのクロスです。
オニキスは「魔除け、希望、意志」を象徴するパワーストーンです。闇の中に一筋の光が差すような深い輝きで、ラグジュアリーな宝石としても使われる美しい石です。古くから悪を退けるといわれ、古代ペルシャやインドでは悪霊から身を守るお守りとして用いられました。
オニキスは魔除けとして用いられる一方、邪念やマイナス思考を振り払い、明るい未来を指し示してくれる希望の石ともいわれています