2011年2月18日金曜日

太政官札(だじょうかんさつ)

 太政官札(だじょうかんさつ)は、明治政府によって明治元年閏4月から明治2年5月まで発行された政府紙幣。金札とも呼ばれました。日本初の全国通用紙幣です。通貨単位は江戸時代に引き続いてのままでした。1879年明治12年)11月までに新紙幣や公債証券と交換、回収されるまで流通しました。明治政府は戊辰戦争に多額の費用を要し、殖産興業の資金が不足したので、参与兼会計事務掛三岡八郎(のちの由利公正)の建議によって明治元年4月19日の布告により、「通用期限は13年間」との期限を決めて太政官札を発行しました。総額4,897万3,973両1分3朱製造されましたが、実際に発行されたのは4,800万両であり、97万3,973両1分3朱は発行させずに焼却しました。

当初、国民は紙幣に不慣れであったこと、また政府の信用が強固では無かった為、流通は困難をきわめ、太政官札100両を持って金貨40両に交換するほどでした。このため政府は、太政官札を額面以下で正貨と交換することを禁止したり、租税および諸上納に太政官札を使うように命じたり、諸藩に石高貸付を命じるなどの方法を講じました。これらの政策や二分金の贋物が多かった事などから、信用が増加したために流通するようになりましたが、今度は太政官札の偽札が流通し始め、真贋の区別が難しくなったため、流通は再び滞るようになりました。
政府は明治2年5月28日の布告で、太政官札の発行を3,250万両に限定し、さらに通用期限を5年間に短縮し、もし期限にいたって交換未済のものがあるときはこれに対し1年で6%の利子を交付することを約束しました。
政府は1871年明治4年)、新貨条例を制定しました。通貨単位を「両」から「圓(円)」に切り替えて本位貨幣金貨とし、金本位制度を採用することにしました。その際に旧1両を新1円とする事を定めています。
政府は1872年明治5年)8月、6年3月、7月、の布告により、金札交換公債證券(記名證書、1,000円、500円、100円、50円の4種。利札證書、500円、100円、50円の3種)に換えて回収する方針をとりましたが、これによって公債証券に換えられたのはごくわずかで、大部分は新紙幣である明治通宝との交換でした。
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