2011年2月14日月曜日

ウェッジウッド オズボーン 27cmのディナープレート5枚


ウェッジウッド(Wedgwood & Corporation Limited)はイギリス陶磁器メーカー。ジョサイア・ウェッジウッドによって1759年に設立されました。
ロイヤルドルトン社と並ぶ世界最大級の陶磁器メーカーの一つです。主に高級食器を製造・販売していますが、アクセサリタオルテーブルクロスなども扱っています。
日本には子会社としてウォーターフォード・ウェッジウッド・ジャパンがあります。イングランドの陶業は17世紀までロンドンブリストルで生産されるデルフト陶器が主でありましたが、18世紀に入ると上質陶器やストーンウェアがこれを代替していきました。これらの製造には良質の粘土が必要であり、イングランド中部のスタフォードシャー州は良質の粘土や石炭を産出する事などから陶業が急激に発展しました。

ジョサイア・ウェッジウッドはこの地方の陶工の息子として1730年に生まれ、若いうちから製陶技術や化学図版などの知識を評価されていました。そして数回の共同経営を経た後、1759年にバーズレム(Burslem)にある工場を叔父から引継ぎ、独立・開業した。この際に従兄弟のトーマスを管理者として雇用しています。
このアビー・ハウス工場(Ivy House Works)で開発した緑色の釉薬を用いた陶器は好評を博し、3年後の1762年には同じくバーズレムにあるブリック・ハウス工場(Brick House Works)に移転しました。ここでジョサイアは、会社の代表作となる、エナメルを用いたクリーム色の陶器を完成させました。これはシャーロット王妃ジョージ3世の妻)にも納められ、「クイーンズウェア(女王の陶器、Queen's Ware)」という名称の使用が1765年に許可されました。
1769年にはリバプールの商人であったトーマス・ベントレー(Thomas Bentley)を共同経営者として迎え入れると、トーマスの人脈などもあって会社は発展を続けました。クイーンズウェアはヨーロッパのみならずアメリカ大陸にも出荷され、1774年にはロシアエカチェリーナ2世から944点の「フロッグ・サービス」と呼ばれる陶磁器セットの注文を受けています。

このような中でジョサイアは再び工場を移転することにし、ニューカッスル・アポン・ライム(Newcastle-upon-Lyme)とハンレー(Hanley)の中間の地を選びます。この土地はイタリア南部の地にちなんでエトルリアと命名され、工場名もエトルリア工場となりました。1769年の操業開始後もしばらくはブリック・ハウス工場で低価格の実用品の生産が続けていましたが、しばらくすると全製品が移管されてブリック・ハウスは閉鎖されました。
この頃、在庫の増加が資金繰りを圧迫して経営を危険にさらすことをジョサイアは初めて理解し、当時としては先進的な原価計算を取り入れるようになりました。これによって高級品の生産に対していたずらにコストが増加してしまうことを防いだ、と考えられています。
エトルリア工場では、まずブラック・バサルト(Black Basalt)が開発されました。これは、当時スタフォードシャー州で作られていた黒色陶器を改良したもので、今日まで会社の主力製品の一つとなっています。さらに1774年にはジャスパーウェアが開発され、1790年にジャスパーによるポートランドの壺が作製されました。この壺は1878年にウェッジウッド社の商標に組み込まれ、コーポレートアイデンティティの重要な要素となっています。
ジョサイア(一世)の死後、その息子であるジョサイア二世が経営を引き継ぎました。二世はボーンチャイナの製造を試みましたが生産はすぐに中止され、1878年にボーンチャイナ生産は再開されました。以降、三世から五世まで経営は世襲され、1895年にジョサイア・ウェッジウッド・アンド・サンズ(Josiah Wedgwood & Sons)として会社が法人化されました。(wikipedia)

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