2011年2月5日土曜日

大阪万博、EXPO'70 記念メダル

日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい、英:Japan World Exposition)は、国際博覧会史上アジアで初めて開催された日本で最初の国際博覧会。大阪府吹田市の千里丘陵(約350ha)において1970年3月14日 - 9月13日まで183日間、当代一の規模を誇りました。別名:大阪万博、EXPO'70。しばしば万博と略称されています。主催は、財団法人日本万国博覧会協会。博覧会の名誉総裁は皇太子明仁親王(2010年現在今上天皇)、名誉会長は当時の内閣総理大臣、佐藤栄作。
「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、総入場者数は6,421万8,770人でと2010年中国・上海で開かれた上海万博(7278万人)に抜かれるまで、万博史上最多を記録し、国際万博史上初めて黒字となりました。戦後、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとなりました。日本においては東京オリンピック(1964年)以来の国家プロジェクトであり、多くの企業・研究者・建築家・芸術家らがパビリオン建設や映像・音響などのイベント制作・展示物制作に起用されました。また大阪市など会場周辺市街地では国際万博開催への整備がなされ、道路や地下鉄建設など大規模開発が進められました。一方、第二次世界大戦以来の規模となる芸術家らの国家イベントへの動員は文化・芸術界内部で批判があったほか、同じく1970年に予定されていた日米安保条約改定に関する議論や反対運動(70年安保闘争)を大イベントで国民の目からそらすものだとして、大学生らによる反対運動も行われました。
人気パビリオンでの数時間の行列など大量の人で大変混雑し、特にアポロ11号が持ち帰った「月の石」を展示したアメリカ館の行列は延々続き、途中であきらめて他の館へ行く人も多かったようです。またその異常な混雑ぶりから、万博のテーマをもじって『人類の辛抱と長蛇』と揶揄されたこともあります。

愛称の「万博(バンパク)」は、この博覧会の正式名称の「万国博覧会」を略したものですが、その後の国際博覧会の愛称にも引き継がれています(科学万博(つくば博)、花の万博(大阪花博)、愛知万博(愛・地球博))。
なお、1940年3月15日から8月31日にかけて東京都で開催される予定であり、日中戦争の激化などを受けて開催延期となった「紀元二千六百年記念万国博覧会」の前売り券は、代替としてこの万博で使用できることとなりました。その結果約3000枚が使用されたとのことです。(wikipedia)


昨年もこの3点セットを数点お買取りさせていただきましたが、金(K18)13.6g 銀18.6g 銅16gですので、18金メダルがお買取り価格に大きく反映いたしました。




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