2011年1月25日火曜日

明治金貨 壱圓 弐圓 五圓 拾圓


明治政府は、それまでの小判、分金、穴銭などの貨幣に変えて近代的な洋式貨幣を発行すべく香港および英国から鋳造機を導入し明治3年11月27日(グレゴリオ暦1871年1月17日)から最初に銀貨の鋳造を初め、明治4年(1871年)8月から金貨が発行されました。
最初硬貨のデザインは英国に委ねる予定でしたが、彫金師加納夏雄の優れた龍のデザインと彫刻が認められ、これが採用されました。デザインに関しては欧州諸君主国の例に倣い表面に天皇の肖像を刻むことも考えられましたが、皇室と庶民の隔たりの大きな当時の日本では、そのような機運は薄く、結果君主を表す龍図に替えられたようです。
また、裏面には、天皇と皇室の紋章である菊紋「十六弁八重表菊紋」と、それに準じて格式あるとされる桐紋「五七桐花紋」があしらわれており、左右には月日を描いた錦の御旗、中央には日章と八稜鏡、およびそれを取り囲む菊と桐の枝飾りが配されています。(Wikipedia)

今回は、壱圓 弐圓 五圓 拾圓の4枚を買い取らせていただきました。ありがとうございます。

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